トップページ>他山域山行リスト>槍ヶ岳_記録20100807
8月6日(金):上高地バスターミナル(7:02)〜(7:05)河童橋(7:17)〜(8:03)明神(8:09)〜(9:00)徳沢(9:15)〜(10:13)横尾(10:50)〜(12:41)槍沢ロッヂ(泊)
8月7日(土):槍沢ロッヂ(6:20)〜(8:08)天狗原分岐〜(12:07)槍ヶ岳山荘(12:39)〜(12:59)槍ヶ岳(13:19)〜(13:46)槍ヶ岳山荘(14:40)〜(15:25)大喰岳(15:37)〜(16:16)槍ヶ岳山荘(泊)
8月8日(日):槍ヶ岳山荘(5:20)〜(7:26)天狗原分岐〜(9:20)槍沢ロッヂ(9:28)〜(10:44)横尾(10:57)〜(11:45)徳沢(11:52)〜(12:35)明神(12:49)〜(13:30)河童橋(13:32)〜(13:37)上高地バスターミナル |
4:00起床。4:30から朝食のために食堂前に並ぶ。朝食は、早い者順というルールだった。
5:00、朝食スタート。父は、先に出ると言って、5:43にさっさと出発していった。
. ....アラアラ
私自身は、歯を磨いたり(単に水だけだが)、小屋で記念品を購入したりして、ゆっくり、6:20に出発。
今日も天気は、よさそうだ。単独ということで、自分のペースで歩いていく。
テント場を通過。登り道だが、快調なペースだ。涼しくて、十分な睡眠のおかげのようだ。
7:08、水俣乗越分岐に到着。(写真下) |
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[大曲(水俣乗越分岐点)にて] |
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槍沢左岸に続く山道を眺める。(写真下)
行く手には、登山者の列が目に入るが、父のような後姿は、見つからない。結構、先の方に進んでいるようだ。
7:18、今まで日陰だったのだが、ついに日向に出た。顔に日光が当たった瞬間、ものすごい熱を感じる。これは、暑くなるな〜と思いつつ、ひたすら進む。思わず、傘で日よけしたくなるような気分だった。 |
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[槍沢を見上げる] |
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7:30、前方を歩いていた父に追いつく。追いついたところで小休止。父も、ここまで歩き続けたようだ。
休んでいる間、何十人という人数の登山者が追い越していく。ちょうど、登山者の波が押し寄せてきたところだった。その波が過ぎた頃、出発する。 |
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[父と合流] |
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8:08、天狗原分岐。
相変わらず、槍沢左岸の斜面を登っていく。振り向けば、天狗原へ向かう団体さんの姿が見られた。(写真下)
「南岳から天狗原に下る尾根は、落石が恐ろしかったな〜」と父。 「...」
そうなのだ。槍ヶ岳に行った回数は、自分の方が1回、多いのだが、天狗原には行ったことがなかった。天狗原は、父のお気に入りの場所で、槍をバックにした天狗原での記念写真をちゃっかり年賀状に利用していたほどだ。 |
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[天狗原へ向かうパーティ] |
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9:07、小さな雪渓に出会う。(写真下) だが、この撮影5秒後に、思いもよらぬアクシデントが発生。
カメラをしまって進もうと前方を見たら、谷側に倒れる父の姿が目に入った。 「アッ、危ない!」 と叫んだものの、柔道の受身をするかのように父の体がコロコロ転がっていく。
15mぐらい、滑落したところで、父は、自力で停止。ストックを谷側に差し、腰を下ろした体勢だった。急いでザックを置き、ロープを持って救助に向かう。このとき、前を歩いていた通りがかりの男性にも手伝っていただいた。とりあえず、父を雪渓から脱出させた後、横のガレ斜面で父からザックを取り上げる。 |
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[雪渓を横断] |
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意識は、問題なかったので、まずは、怪我の確認。
幸い、父の怪我は、たいしたことなく、目立ったのは、左腕の外傷(打撲と擦過傷)程度で、頭や首には問題がなかった。救助に協力していただいた男性は、父の怪我が軽傷であることが判明すると、「よかったですね」と言いながら、先に登山道へ戻って行かれた。
ちょっと一呼吸置いて、雪渓横のガレ場をゆっくり登り、登山道に戻った後、少し先の平坦な場所に父を座らせる。その後、自分のザックを取りに雪渓手前まで戻るが、その時、父が滑落した場所を確認。(写真下左)
よく見ると、滑落した場所には、雪は殆どなく、単なるガレ場だった。つまり、父は、ガレ場でバランスを崩し、落ちた先が雪渓だったということになる。(写真下右)
これは、ラッキーだったという他ない。もし、雪渓でなく、その先のガレ場で転落したら、こんな程度の外傷では済まなかっただろう。また、雪渓の斜面が緩やかだったのも幸いだった。
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[滑落現場(上から見る)] |
[滑落現場(横から見る)] |
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自分のザックを背負って、父のいる場所に向かう。救急袋から傷当てパッドを取り出し、応急処置。「足がもつれたらしい。足が、疲れていたようだ。」と父。年をとってくると、どうやら足が疲れていても、脳には、その通知が届かないらしい。
父の心理状態がどうかわからなかったが、傷の手当後の一言は、
「さあ、行くぞ」
と足先は、槍ヶ岳の頂上方向へ。
「えっ!」
と、私。全く予想しないセリフだった。
「大丈夫?」 と尋ねると、
「大丈夫だ。肩の小屋の診療所に向かう。」との発言。大丈夫なのかどうか、よくわからない返事だ。
頭や腕などの外傷を再確認し、まあ本人に登高心があるのだから、心理的にも問題なかろうということで、ゆっくりと歩き出す。 |
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[とりあえず応急手当] |
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10:03、坊主岩小屋到着。(写真下) ここまで来れば、槍の穂先も良く見える。
父の方は、特段、変わった様子もなく、黙々と登っていく。父のザックには、お守りがいくつかぶら下がっている。
「やはり、ご利益があったね〜」 と、ぶら下がったお守りの3つ(穂高神社奥宮、川崎大師、大宰府天満宮)を見て話すと、父もバツが悪いのか、
「そうだな」
の一言。どうも父は、このとき、いよいよ3000m級の山の引退を考えていた模様。 |
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[坊主岩小屋にて] |
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途中、何度か休憩しながら、12:07、どうにか山頂の肩にある槍ヶ岳山荘に到着。今日は、ここまでとし、山荘に宿泊の手続きをとる。その後、診療所に向かうが、ちょうど昼休みらしく、待つこととなった。
「左腕にどうも力が入らない。お前一人で、頂上に行ってくれ。」と父。 「それでは、今から行ってくる。」 ということで、単独で槍のピークに向かう。 |
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[槍ヶ岳山荘前に到着] |
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頂上から下ってくる人とすれ違う時、チェストハーネスとロープを装着した姿を何人か見かけた。槍ヶ岳登頂が初めて、いや、本格的登山が初めてだった人かなと推察。満足した表情が顔に出ていた。(チェストハーネスまで用意しているというのが、素晴らしい)
先を見ると、登りは、それほど混んでいなかったが、下りは渋滞の列が出来ていた。槍の穂先へのルートは、毎回、来る度に安全性が向上し、足場がよくなっているような気がする。だが、片腕で登れるほど、楽な登りではない。これでは、やはり父には無理だなと思った。 |
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[単独で槍のピークに向かう] |
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途中、下山者との合流点で渋滞し、待ち時間が発生するも、12:59、登頂。
360度の眺望を期待したのだが、西側はガスが湧き、見えず、東側の燕岳、常念、それに南側の穂高方面の山々が眺めることができた。祠の前では、記念撮影のための列が出来る。背後の人にシャッターを押してもらうようにして、皆が順番に記念撮影。その後も、なかなか立ち去りがたく、結局、30分山頂に留まっていた。 |
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[槍のピークで記念撮影] |
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ゆっくり下って、13:46、山荘前に戻る。父は、山荘前の椅子に腰掛けていて、既に生ビールを飲んでいた。診療所では、槍の穂先登頂に対し、やはりドクターストップがかかったらしい。父は、それで、登頂に諦めがついたようだ。しかし、ドクターから、「今まで78歳が最高でした。82歳は、初めてです。」と聞かされ、気分がいいらしく、ニコニコしながら話す。ここで、こちらも生ビールを買い、乾杯。
すると、隣に座っている方が、なんと先程、父の救助に協力して下さった男性の方だとわかった。
お礼を述べ、生ビールで乾杯する。
「軽い傷で良かったですね。」
と、会話が弾む。
その後、時計を見ると、14:40。まだ、夕食には時間がタップリある。父は、今回、槍のピークを踏んでいないということもあり、隣の大喰岳のピークに向かうことにした。
空身なので、歩きやすいが、生ビールが入っているので、テント場を慎重に下っていく。
飛騨乗越を通過し、大喰岳の登りに差しかかると、左手の雪渓を父がじっと眺めている。(写真下) 何だと思ったら、「57年前、この雪渓の雪を水筒に入れて、穂高に向かった記憶が蘇った。」とのこと。
「57年前!」
「あの時は、水不足で苦労したわい。」
父が20代の頃、双六小屋から1日で穂高岳山荘まで縦走した時の事らしい。 |
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[飛騨乗越の少し先にて] |
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大喰岳への登りの時、父の口から「3000m級引退」の言葉が発せられる。待ってましたとばかりに、「丹沢の場合は、鍋割山・塔ノ岳だけ。後は、三浦半島や鎌倉ぐらいに」
と、こちらも身内を代表して、この際、3000m級だけでなく、一気に2000m以下までの引退勧告を進言。というのも、
「3000m級は、引退したが、八ヶ岳ぐらいは、まだ引退しない。」
という、意味のない引退宣言にさせないために、ここは、一気に標高を落とす。
「まあ、そうだろうな。」
と、父も強く反対しなかった。
15:25、大喰岳登頂。私にとっては、18年ぶりの大喰岳だった。但し、前回は、悪天候で、雨と霧の中を歩いたので、全く山頂という記憶がなかった。今日は、槍も穂高もくっきり眺められる絶好の場となった。穂高方面を眺める。
その後、父と記念撮影。(写真下) 父の3000m級登山引退(実質、2000m級も引退)記念ということで、この写真は、本当に記念すべきものとなった。
帰り際、立止まって、父とともに槍をじっくりと眺め入る。 |
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[大喰岳頂上にて記念撮影] |
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「いい記念になった〜」と父。 どうやら、今回のアクシデントで、ホントに3000m級引退を決意した模様だ。
小屋に戻って、夕食。今日の夕食は、9回ぐらい分割して実施されていたかと思う。そんな訳で、小屋は、超満員。ギュウ詰めの寝床だった。 |
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[夕日は、期待できず。(山荘の裏側にて)] |
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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